2011年4月13日水曜日

第一回 高屋山陵と鷹屋神社 その3

大川内岡


鹿児島空港方面から高屋山陵方向へ車を走らせ、高屋山陵の前を過ぎてしばらく走ると上床公園という公園がある。その中に溝辺町の公民館がある。公民館と言っても、町内会レベルではなく市町村レベルなのでそれなりの施設である。
ここならば何か郷土史の資料があるだろうと思い、事務所で尋ねてみた。

「別の棟に教育委員会の者がおりますので、そちらで聞いてみてください。」

事務の方はそう言って教育委員会の方を紹介してくださった。
内心、個人的な趣味でやってることで教育委員会の方まで煩わせるのは申し訳ないな~と思いつつもせっかくなのでお話を伺うことにした。
教育委員会の方は分厚い郷土史の本を持ってきて調べてくださったが、「鷹大明神社」という神社は無いという。話に一番近いのはやはり鷹屋神社しかないらしい。
しかし、高屋山陵に関わる史跡として「大川内岡(おおかわちおか)」という所を紹介してくださった。言い伝えによればヒコホホデミノミコトがトヨタマヒメに出会った場所らしい。
話をしてくださった教育委員会の方に大川内岡に行く旨を伝え、公民館を辞した。

大川内岡は高屋山陵と鹿児島空港の中間くらい、民家の脇を少し入った所にある。
現在は公園になっていて、西南戦争、日清・日露戦争、太平洋戦争の戦死者を祀った招魂碑がある。


招魂碑の周囲を歩いてみると、まあるい岡になっていて円墳の様である。教育委員会の方にいただいた郷土史のコピーを見てみると

    古老は古墳とも言い伝え、

とあるではないか。実はこちらが本当の高屋山陵なのではないかと思ったが、まあ、それは素人の空想にすぎない。

前述したように大川内岡はヒコホホデミノミコトとトヨタマヒメが出会ったとされる場所である。尊が姫を見初めた場所なので、はじめは「みそめが岡」といったらしい。その「みそめ」がなまって「みぞべ」=「溝辺」になったとのことである。地名は言葉の化石と言うので、この伝説も相当古くからあるのかもしれない。

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