2011年4月12日火曜日

第一回 高屋山陵と鷹屋神社 その2

鷹屋神社


かつて高屋山陵の所に在ったという「鷹大明神社」はどこに在るのか?
古代文化研究所というブログによれば、高屋山陵から南に約2キロメートル
の所に移されたらしい。

古代文化研究所
◯ちなみに、この鷹大明神社は、高屋山陵認定後、南に2㎞ほどのところに遷座させられている。

グーグルマップで見てみると高屋山陵の近くに鷹屋神社という神社が在る。位置もちょうど高屋山陵から南に2キロメートルぐらいだ。「鷹」の字は共通しているし名前は遷座した際に変わったのかもしれないと思い、鷹屋神社に向かってみることにした。


高屋山陵から鹿児島空港方面へ向かう途中に「鷹屋神社」の大きな看板があり、そこを右に曲がる。まっすぐ進んでいくと再度案内の看板があるのだが、これが古いせいもあって大変見にくく見逃してしまった。少し迷ったが無事看板を発見し案内のとおり人家の少ない(と言うか全くない)山の方へ入っていく。右手に田んぼを見ながらしばらく車を走らせると、左手の山の麓に鳥居が見えた。
鷹屋神社であった。


鳥居の手前に市町村合併前の旧溝辺町が立てた説明書きがある。



残念!ここは「鷹大明神社」ではない。高屋山陵のそばに在った所までは同じだが、
今の場所に移されたのは「1411年 後小松天皇の御代」だと言うではないか。
後小松天皇・・・確か一休さんの時代である。明治ではなく当然山陵の認定とも関係は無い。
むしろ、ここへ移した理由が「住民が神威をおそれ」というのがーー祟りでもあったのか?ーー
と気になったが、それを調べるのは今回の目的ではないのでスルーすることにした。


鳥居から拝殿を望む。
拝殿右手前にあるのが文化財指定のイチョウの木。
祭神はヒコホホデミノミコト。
周囲に鷹大明神を祀った祠でもないかと
探してみたが無かった。

それらしい神社や祠はないかとしばらく車を走らせてみる。陵南小学校の近くで古くから
やっていそうな商店を見つけたので、「鷹大明神社」について尋ねてみるが知らないとのこと。
誰かに尋ねようにも道を歩いている人もなく途方に暮れかけたが、高屋山陵の近くに
溝辺町の公民館のような施設が在ったのを思い出した。
そこならば何か郷土史のような資料があるだろうと、向かってみることにした。

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