2011年5月9日月曜日

第三回 新田神社と可愛(えの)山陵

前回の枚聞神社と一の宮の地位を争ったのが、今回訪れた新田神社である。
薩摩川内市の市街地の中、神亀山という小高い山の山頂にある。
現在はニニギノミコト、天照大神、アメノオシホミミノミコト
の三柱の神を祀るが、江戸時代までは八幡神を祀っていたらしい。



二の鳥居



この大きいのが二の鳥居。国道をはさんで長い参道が続いており、
その先に一の鳥居があるらしいのだが
あまりに参道が長くて今回は一の鳥居までたどり着けなかった(笑)。


二つ目の階段
結構いい運動になります。

階段の途中に在った大楠
根元は空洞になってました。


勅使殿


ここも枚聞神社と同じく特殊な造りで、県指定の文化財になっている。



神社の脇を抜けて奥へ入っていくと可愛山陵がある。

可愛山陵


もちろんニニギノミコトのお墓である。
なぜここがニニギノミコトの陵とされたのか非常に興味のある所だが、
それは今後の課題としたい。

2011年4月24日日曜日

第二回 枚聞神社

国道226号線から県道28号線へ入り、池田湖の前を通り過ぎて
しばらく走ると左手に見えてくるのが枚聞(ひらきき)神社である。
創建の年代は定かではないが、社伝には和銅元年(708年)とも伝えられるという。
薩摩の国一の宮と呼ばれ、同じく一の宮を名乗る新田神社とその地位を争った。

神社の説明書きを見ると、主祭神は枚聞の神一座、大日孁貴神(おおひるめむちのかみ)となっている。大日孁貴神は天照大神のことだが、枚聞の神というのが良く判らない。ネットで検索をかけてみると、ワダツミノカミから猿田彦、果ては天智天皇まで諸説あって結局不明といったところらしい。

他に皇祖神八柱を祀っているとある。
Wikipediaで調べてみると、アマテラスとスサノオが誓約(うけい)を行った際に
生まれた五男三女神のことらしい。

  • 田心姫(たこりひめ)
  • 湍津姫(たぎつひめ)
  • 市杵嶋姫(いちきしまひめ)
  • 天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
  • 天穂日命(あめのほひのみこと)
  • 天津彦根命(あまつひこねのみこと)
  • 活津彦根命(いくつひこねのみこと)
  • 熊野櫲樟日命(くまのくすびのみこと)

枚聞神社と樹齢800年の楠

これが拝殿だと思いここから参拝したのだが
これは勅使殿というらしい。この奥に拝殿がある。
独特の造りをしているらしく、県指定の文化財になっている。
現在の社殿は関ヶ原の敵中突破で有名な島津義弘公が建てたものを、代々の島津氏が改築していったものだそうである。

枚聞神社近くからの開聞岳

枚聞神社は開聞岳のすぐ近く、麓といっていい場所にある。近くで見ると迫りくるような大きさに圧倒される。枚聞神社を創建した古代の人々の気持ちが解るような気がした。

2011年4月13日水曜日

第一回 高屋山陵と鷹屋神社 その3

大川内岡


鹿児島空港方面から高屋山陵方向へ車を走らせ、高屋山陵の前を過ぎてしばらく走ると上床公園という公園がある。その中に溝辺町の公民館がある。公民館と言っても、町内会レベルではなく市町村レベルなのでそれなりの施設である。
ここならば何か郷土史の資料があるだろうと思い、事務所で尋ねてみた。

「別の棟に教育委員会の者がおりますので、そちらで聞いてみてください。」

事務の方はそう言って教育委員会の方を紹介してくださった。
内心、個人的な趣味でやってることで教育委員会の方まで煩わせるのは申し訳ないな~と思いつつもせっかくなのでお話を伺うことにした。
教育委員会の方は分厚い郷土史の本を持ってきて調べてくださったが、「鷹大明神社」という神社は無いという。話に一番近いのはやはり鷹屋神社しかないらしい。
しかし、高屋山陵に関わる史跡として「大川内岡(おおかわちおか)」という所を紹介してくださった。言い伝えによればヒコホホデミノミコトがトヨタマヒメに出会った場所らしい。
話をしてくださった教育委員会の方に大川内岡に行く旨を伝え、公民館を辞した。

大川内岡は高屋山陵と鹿児島空港の中間くらい、民家の脇を少し入った所にある。
現在は公園になっていて、西南戦争、日清・日露戦争、太平洋戦争の戦死者を祀った招魂碑がある。


招魂碑の周囲を歩いてみると、まあるい岡になっていて円墳の様である。教育委員会の方にいただいた郷土史のコピーを見てみると

    古老は古墳とも言い伝え、

とあるではないか。実はこちらが本当の高屋山陵なのではないかと思ったが、まあ、それは素人の空想にすぎない。

前述したように大川内岡はヒコホホデミノミコトとトヨタマヒメが出会ったとされる場所である。尊が姫を見初めた場所なので、はじめは「みそめが岡」といったらしい。その「みそめ」がなまって「みぞべ」=「溝辺」になったとのことである。地名は言葉の化石と言うので、この伝説も相当古くからあるのかもしれない。

2011年4月12日火曜日

第一回 高屋山陵と鷹屋神社 その2

鷹屋神社


かつて高屋山陵の所に在ったという「鷹大明神社」はどこに在るのか?
古代文化研究所というブログによれば、高屋山陵から南に約2キロメートル
の所に移されたらしい。

古代文化研究所
◯ちなみに、この鷹大明神社は、高屋山陵認定後、南に2㎞ほどのところに遷座させられている。

グーグルマップで見てみると高屋山陵の近くに鷹屋神社という神社が在る。位置もちょうど高屋山陵から南に2キロメートルぐらいだ。「鷹」の字は共通しているし名前は遷座した際に変わったのかもしれないと思い、鷹屋神社に向かってみることにした。


高屋山陵から鹿児島空港方面へ向かう途中に「鷹屋神社」の大きな看板があり、そこを右に曲がる。まっすぐ進んでいくと再度案内の看板があるのだが、これが古いせいもあって大変見にくく見逃してしまった。少し迷ったが無事看板を発見し案内のとおり人家の少ない(と言うか全くない)山の方へ入っていく。右手に田んぼを見ながらしばらく車を走らせると、左手の山の麓に鳥居が見えた。
鷹屋神社であった。


鳥居の手前に市町村合併前の旧溝辺町が立てた説明書きがある。



残念!ここは「鷹大明神社」ではない。高屋山陵のそばに在った所までは同じだが、
今の場所に移されたのは「1411年 後小松天皇の御代」だと言うではないか。
後小松天皇・・・確か一休さんの時代である。明治ではなく当然山陵の認定とも関係は無い。
むしろ、ここへ移した理由が「住民が神威をおそれ」というのがーー祟りでもあったのか?ーー
と気になったが、それを調べるのは今回の目的ではないのでスルーすることにした。


鳥居から拝殿を望む。
拝殿右手前にあるのが文化財指定のイチョウの木。
祭神はヒコホホデミノミコト。
周囲に鷹大明神を祀った祠でもないかと
探してみたが無かった。

それらしい神社や祠はないかとしばらく車を走らせてみる。陵南小学校の近くで古くから
やっていそうな商店を見つけたので、「鷹大明神社」について尋ねてみるが知らないとのこと。
誰かに尋ねようにも道を歩いている人もなく途方に暮れかけたが、高屋山陵の近くに
溝辺町の公民館のような施設が在ったのを思い出した。
そこならば何か郷土史のような資料があるだろうと、向かってみることにした。

2011年4月8日金曜日

第一回 高屋山陵と鷹屋神社 その1

高屋山陵

正確には高屋山上陵と言うらしい。神代三山陵の一つ。
ちなみに神代三山陵とは


ニニギノミコト・・・・・・・・・・可愛(えの)山陵
ヒコホホデミノミコト・・・・・・高屋(たかや)山陵
ウガヤフキアエズノミコト・・吾平(あいら)山陵


この三つの陵をいう。
高屋山陵に祀られているヒコホホデミとは、ご存知の方も多いと思うが
海幸彦山幸彦の神話で有名な山幸彦のことである。


さて、今回訪れた高屋山陵は霧島市溝辺町にある。加治木方面より鹿児島空港
の前をオープンしたばかりのセブンイレブンを横目に見つつ通り過ぎ、
しばらく車を走らせると右手に大きな「高屋山上陵」の看板が見えたので
すぐに判った。入り口の所に小さな駐車スペースがある。周囲には土産物屋
はおろか自販機さえない。一応観光地だとは思うのだが、まあ、お墓だから
こんな静けさが似合っているのだと思う。

山陵入り口の碑
ここを登っていく。運動不足の体にはつらかった。。。
陵の正面。鳥居はあるが、神社ではない。
二礼二拍一礼すべきなのか迷い、結局一礼だけした。
古墳とは言え神様のもの。二礼二拍一礼で良かったのかな?
ちゃんと宮内庁が管理してます。
斜め横より陵を見たところ。
古墳と言うよりは「山」という感じだが、
まあ、神話の時代のものだから当然か。

昭和天皇が皇太子の頃に参拝された記念碑。

ところで、今回訪問する前に「高屋山陵」をネットで検索したら

古代文化研究所
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/452949.html
というブログがあり、以下のような記述を見つけた。

◯ちなみに、この鷹大明神社は、高屋山陵認定後、南に2㎞ほどのところに遷座させられている。寂しく狭隘で、辺境な谷の中に、今は鷹大明神社は鎮座させられている。もともと鷹大明神社が鎮座していたところは、国道504号線沿いの人通りの多い所にあったと思われるのに、かわいそうと言うか、気の毒な話である。「三国名勝図会」によれば、鷹大明神社は溝辺郷の宗廟であったと言う。あまりにひどい扱いではないか。
(改行位置は変更した)

どうやら明治に高屋山陵をヒコホホデミの陵としてを認定した際に

そこに在った神社を移したらしい。
この「鷹大明神社」はどこにあるのか?グーグルマップで探しても載っていない。
そこで、この「鷹大明神社」を探すべく、高屋山陵を後にした。